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リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング

2024.3.1fri シネマート新宿ほか全国ロードショー
すべては彼から始まった!
			時代に抗い、幾多の困難を乗り越えた、不屈で繊細な魂の軌跡
劇場情報
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Little Richard
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TRAILER
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すべては彼から始まった
ディランもビートルズもストーンズも!ボウイもフレディもプリンスも!
			JBもジミヘンも!そしてプレスリーまでもが彼に憧れ、敬愛し、真似た‼

リトル・リチャード。1950年代半ばに彗星のごとく音楽シーンに現れ、後進のロック・ミュージシャンに多大な影響を与えた伝説的黒人アーティスト。ミック・ジャガーは「ロックンロールはリトル・リチャードが始めた」と語り、エルヴィス・プレスリーは「彼こそロックンロールの真のキングだ」と称賛。ビートルズのデビュー前から親交があったジョン・レノンは「初めて会ったとき、畏敬のあまり、硬直してしまった」と言い、ポール・マッカートニーは「歌で叫ぶのはリチャードの影響さ」と語る。はたして彼はいったいどのような生い立ちを経て、その名を世界に刻んでいったのか。豊富なアーカイヴ映像、本人およびその親族や関係者、識者に加え、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ポール・マッカートニー、デイヴィッド・ボウイら著名ミュージシャンによる証言映像とともにつまびらかにする感動作。

現代ロックの誕生を導き、あらゆる困難と闘った偉人、その知られざる史実と素顔とは?

1955年、デビュー・シングル「トゥッティ・フルッティ」の大ヒットで世に出ると、ヒット曲を連発して反権力志向の若者の心をつかみ、まさにイナズマのような活躍をみせるも突如引退を宣言。そこから5年の「教会への回帰」を経て、復帰後はイギリス・ツアーを通じて無名時代のビートルズやローリング・ストーンズに決定的な刺激と影響を与えていく。立ったままピアノを弾き、左手でブギウギを、右手では打楽器的打鍵を披露。激しいリズムを背景に、叫ぶように歌ったかと思えば、ピアノの上に立ち、衣服を脱ぎ捨ててステージを縦横無尽に駆けめぐる。今ではすっかり当たり前になっているパフォーマンスの数々が約70年前にひとりの黒人シンガー・ソングライター/ミュージシャンによって創造された事実を再認識する興奮と感動は大きく、アーカイヴ映像に残されたリチャードの演奏は今見ても全く色あせてはいない。さらに近年ではLGBTQ+(クイア)の先駆者としても再評価されている。

迷い、苦しみながらも前へ進み、最後に報われた人生。これは不屈で繊細な彼の魂の軌跡

当時のアメリカでは南部を中心に人種差別がまだまだ激しかった。音楽活動における”認められたい“という欲求も長い間満たされずにいた。また、ゲイを公言する性的マイノリティーであった彼は、陽気な言動とは裏腹に、あまりに壊れやすい繊細な心を持った人物だった。これはドキュメンタリーの形を借りて描かれた、ひとりのミュージシャンの「魂の軌跡」。差別や偏見、時代や権力、そして信仰と音楽。様々な岐路で迷い、苦悩しながらも、最後にはあらゆる壁を壊し、自分自身を解放した初期ロックの雄のための鎮魂歌にして讃歌。すべては彼から始まった!彼がいなければ、現代に繋がる扉は開かれなかったのだ!!

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Little Richard
リトル・リチャード
ミュージシャン、シンガー・ソングライター。本名リチャード・ウェイン・ペニマン。1932年12月5日、米ジョージア州メイコン生まれ。1950年代にロックンロールの一大ブームを巻き起こした偉大な先駆者であり功労者。保守的な田舎町で育つ一方、早くからゲイを公言。聖歌隊、クラブなどでの歌手活動を経て、1955年、シングル「トゥッティ・フルッティ」でメジャー・デビュー。エキサイティングなヴォーカルとパフォーマンス、ピアノを叩くようにシャウトするそのスタイルは、当時の若者たちに熱狂的に支持され、人種の壁を壊し、のちのロック、R&Bに多大な影響を与えた。またゲイであることを公表し活動を続けた点で、近年はクイアの先駆的アーティストとしても再評価されている。
2020年5月9日、死去。享年87歳。代表曲に「トゥッティ・フルッティ」「のっぽのサリー」「ルシール」「グッド・ゴーリー・ミス・モーリー」「ジェニ・ジェニ」「キープ・ア・ノッキン」「リップ・イット・アップ」など多数。ROLLING STONE誌が選ぶ「最も偉大なアーティスト100人」で第8位、「最も偉大なシンガー100人」で第12位に選出。 “ジョージア・ピーチ”の愛称でも親しまれた。
リトル・リチャード
リトル・リチャード
リトル・リチャード
リトル・リチャード
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CAST

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ミック・ジャガー

1943年生まれ。1962年に結成されたローリング・ストーンズのボーカリスト。ギタリストであるキース・リチャーズと「ジャガー/リチャーズ」の名義で数々のヒット曲を生み出した。ブルースやR&Bに影響されたそのボーカルスタイル、独特なステージアクションはその後のロックに大きな影響を与えている。

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ポール・マッカートニー

1942年生まれ。ビートルズのメンバーとしてボーカル、ベースなどを担当。ジョン・レノンと共に数多くの名曲を世に送り出した。解散後はウイングスやソロでも大活躍。
「私がやっていることの多くはリトル・リチャードと彼のスタイルに負っている」と語る。

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キース・リチャーズ

1943年生まれ。ローリング・ストーンズのギタリスト。ミック・ジャガーとともにストーンズの多くの楽曲を作曲。「史上最高のリズム・ギタリスト」とも称賛され、有名な5弦のオープンGチューニングのギターから、数多くの有名リフを生み出した。ソロ曲では渋いボーカルも聴かせる。

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デイヴィッド・ボウイ

1947年生まれ。英国出身のミュージシャン・俳優。70年代前半に『ジギー・スターダスト』などの作品でグラム・ロックシーンをリード。その後も様々に音楽スタイルを変えつつ、ロック史に燦然と輝く名作群を残す。2016年最後のアルバム『ブラックスター(★)』を発表し2日後の1月10日死去。

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エルヴィス・プレスリー

1935年生まれ。リトル・リチャードやチャック・ベリーらと共にロックンロールの誕生と普及に大きく貢献した、通称「キング・オブ・ロックンロール」。とりわけ50年代にサン・レコードから発表した作品群は後続のロックミュージシャンに多大なる影響を残した。1977年8月16日死去。

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ジョン・レノン

1940年生まれ。ビートルズのメンバーとしてボーカル、ギターなどを担当。ポール・マッカートニーと共に数多くの名曲を世に送り出した。ビートルズ解散後は妻で芸術家のオノ・ヨーコと共に活動し、ここでも多くの名曲を生み出した。1980年12月8日ニューヨークの自宅アパート前において銃撃され死亡。

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トム・ジョーンズ

1940年生まれ。イギリス出身のポピュラー歌手。70年代にはセックスシンボル的な人気も得た。代表曲に「よくあることさ」「ラヴ・ミー・トゥナイト(恋の終わり)」「最後の恋」「恋はメキ・メキ」などがある。シャンソンやカンツォーネの英語歌詞によるカバーでも人気。

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ノーナ・ヘンドリックス

1944年生まれ。米国のヴォーカリスト、レコード・プロデューサー、ソングライター、ミュージシャン、作家。 1970年代にはパティ・ラベルらと共にラベルで活躍。「レディ・マーマレード」などのヒットを飛ばした。解散後はソロで活動、映画やTV音楽も手掛ける。

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サー・レイディ・ジャヴァ

1943年ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。ダンサー、歌手、コメディアン、女優として活躍し、60年代半ばにリトル・リチャードと出会ってから長年の友人だった。トランスジェンダー権利向上の活動家の先駆者的存在としても知られている。

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ビリー・ポーター

1969年ペンシルベニア州生まれ。16歳の時にゲイであることをカミングアウトし、1992年アメリカのタレント発掘番組「スター・サーチ」に出演し10万ドルを獲得。2013年には「キンキー・ブーツ」でトニー賞ミュージカル部門主演男優賞を受賞。ファッションや映画、音楽の分野でも活躍する多才なアーティスト。

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ナイル・ロジャーズ

1952年ニューヨーク州生まれ。1977年にシックを結成。また、ダイアナ・ロス、デイヴィッド・ボウイ、マイケル・ジャクソン、マドンナなど世界を代表するアーティストをプロデュース。グラミー賞生涯功績賞・特別功労賞を含む6つのグラミー賞を受賞しているアメリカを代表するプロデューサーでありギタリスト。

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ジョン・ウォーターズ

1946年ボルチモア生まれの映画監督。『ピンク・フラミンゴ』『ヘアスプレー』『I love ペッカー』などヒット作を手がける。幼い頃からリチャードの大ファンで、11歳の時に「ルシール」を聴いて以来「どうにかしてL・リチャードの体に入り込み、彼と入れ替わることができたらいいのにと思っていた」と語っている。

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チャールズ・グレン

テネシー州ナッシュビル生まれ。モータウンのレコーディング アーティストとして活躍。80年代初頭には人気ファンク・グループ「オゾン」に所属。その後ビリー・プレストンの紹介でリトル・リチャードのベーシストとなる。

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シスター・ローゼタ・サープ

1915年アーカンソー州生まれ。1930~40年代にかけゴスペルをベースにジャズやブルーズの大衆音楽を取り入れた演奏で人気を博す。自らギターを弾き歌うスタイルは、リトル・リチャードやチャック・ベリー、エルヴィス・プレスリーなどにも影響を与えた。「ロックンロールの母」「ソウルシスターの元祖」と称される。

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ビリー・ライト

ジョージア州アトランタ生まれ。「ブルース・フォー・マイ・ベイビー」は1949年にビルボードR&Bチャート3位を獲得。当時人気のテントショーで女性のメイク・服装で歌ったりダンスを披露していた。彼は当時から同性愛者であることも公言し、ファッションやステージパフォーマンスにおいてリチャードに多大な影響を与えた。

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エスケリータ

サウスカロライナ州グリーンビル生まれ。サングラスをかけ、ポンパドールにしたヘアスタイルで演奏をするスタイルで人気を博す。ドクター・ジョンやアラン・トゥーサンなどのレコーディングにも参加。大絶賛されたL・リチャードのカムバック・アルバム『ザ・リル・シング』に「デュー・ドロップ・イン」と「フリーダム・ブルース」に共作で曲を提供した。

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ヴァレリー・ジューン

1982年テネシー州ジャクソン生まれ。2013年にアルバム・デビュー。フォークやカントリー、R&B、ブルースなどのトラディショナルな音楽がミックスされた独特の音楽性で話題に。今日のアメリカーナ・ムーヴメントを代表する女性シンガーのひとり。

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コリー・ヘンリー

1987生まれ。アメリカのジャズオルガン奏者、ピアニスト、ゴスペルミュージシャン、プロデューサー。スナーキー・パピーの元メンバー。革新的な音楽性、高い演奏技術により現代のジャズ、ゴスペルシーンを代表する鍵盤奏者として極めて評価が高い。

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ジョン・P・キー

1962年生まれ。アメリカのゴスペル・シンガー、牧師。伝統的なゴスペルと現代的なゴスペルをミックスすることで知られ、「プリンス・オブ・ゴスペル・ミュージック」とも称される。迫力あるバリトンボイスが持ち味。2007年には「クリスチャン・ミュージック・ホール・オブ・フェイム」入りを果たした。

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チャック・ベリー

1926年生まれ。リトル・リチャードやエルヴィス・プレスリーらと共にロックンロールの祖としてあまりにも有名。特徴的なギターリフを使った音楽スタイル、物語性の高い歌詞は後のロック・ミュージシャンに多大な影響を与えた。「ジョニー・B.グッド」「ロール・オーバー・ベートーヴェン」など名曲多数。

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ボー・ディドリー

1928年生まれ。ボー・ディドリー・ビートと称される独特なリズムの楽曲、ボディが長方形のギターがトレードマーク。チャック・ベリー、リトル・リチャードらとともにロックンロールの生みの親として知られる。ローリング・ストーンズら後続に大きな影響を与え、1987年にはロックの殿堂入りを果たす。

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ファッツ・ドミノ

1928年生まれ。ニューオーリンズ出身のシンガー・ソングライター。ロックンロール・オリジネイターの一人。独自のスタイルのピアノプレイは後続に大きな影響を与えた。ジョン・レノンもカバーした「エイント・ザット・ア・シェイム」のほか「ブルーベリー・ヒル」「ブルー・マンデー」など名曲多数。

STAFF

Lisa Cortés
Lisa Cortés

1960年12月24日コネチカット州ミルフォード出身。
映画・テレビのプロデューサー兼監督。

青春時代の多くをハーレムの路上で過ごし、イェール大学卒業後は音楽業界に進み、デフ・ジャムの創設者であるラッセル・シモンズやリック・ルービンと一緒に働いた。その後コルテスはマーキュリー・レコードのスタッフとなり、ヴァネッサ・ウィリアムズやブライアン・マックナイトらと仕事をした。 1994 年、コルテスは Loose Cannon という自身のレーベルを設立したが、2年後に閉鎖された。
音楽業界を去った後、コルテスは映画に興味を持ち、ニューヨーク映画アカデミーに入学。プロデューサーで親友のリー・ダニエルズと、『ウッズマン』(04)『シャドウボクサー』(05)『テネシー』(08)『プレシャス』(09)などの映画を共同製作した。中でも『プレシャス』はアカデミー賞6部門にノミネートされ、助演女優賞と脚色賞の2部門を受賞。全世界で80もの国際的な賞とノミネーションを獲得するなど、大きな成功と栄誉をもたらした。
2010 年に自身の会社コルテス・フィルムワークスを設立。最新作は「The Space Race」(23)。

COMMENT

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敬称略・順不同
仲井戸麗市
2024.春. 仲井戸“CHABO”麗市
「元祖キング・オブ・R&R!  L・リチャード」
そのキャリア、人生の色あいといった事は、今までに種々なる文献、映像etcで認識してたつもりであったが、この「アイ・アム・エヴリシング」は1人の人間の個人史としてもきわめて意義深い尊い貴重なドキュメントだ。
今やザ・ビートルズは教科書に載る…ならば、さぁL・リチャードをも教科書に!
その崇高たる唄声、叫び、痛み、愛、人生を聴け!
R&Rの揺ぎなき王者、リトル・リチャードという名のDeepな「光と影」を聴け!
近田春夫
近田春夫
よくこれだけの量のちゃんとした記録映像が残っていたものだ。
歌手/ピアニストとして、リトル・リチャードの才能が如何に豊かであったか改めて思い知らされた。
ヒット曲の数々は自分がレパートリーにしていた時期もあるぐらいだが、
これを観るまでリトル・リチャードがどのような人間なのかほとんど理解していなかった。
リトル・リチャードがロックンロールを発明した。
その意味の重要性を、この映画を観て是非知って欲しいのである。
爆発する人。歩く火山。絶頂が噴火する。
霊長類最強の声が常識を吹き飛ばす。ギャー!!
甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)
ワッバパルマッブラッバンバン!
ロックンロールは「笑い飛ばしちまえよ、BABY!」
と、心を吹き飛ばすダイナマイトを俺に食らわせました。
とりわけ、大声で笑い飛ばしていたのは、リトル・リチャードでした。
ワッハッハッハッ、ぶっ飛ばしていこうぜ、ロックンロール!!
真島昌利(ザ・クロマニヨンズ)
岡村靖幸
岡村靖幸
リトル・リチャード
こんなにイカしたアーティストがあの時代に生まれたのは奇跡的だし、
その後のアーティストの影響を考えると、エルヴィスよりキングだったのかも。
後、プリンスはリトル・リチャードそっくりなのがよくわかりました。
必見!
臼井ミトン
臼井ミトン
(シンガーソングライター/ラジオDJ)
道化役を演じ切ったロックンロールのパイオニアの知られざる苦悩と素顔。
胸に迫るこの物語を、全ての音楽ファンに観て欲しい!
高中正義
高中正義
1992年、ロサンゼルスでリトル・リチャードとレコーディングの時、 You're fired! 「おまえはクビだ!」と言う英語を覚えて(fireの使い方です)、リトル・リチャードの前で使ってみたくなって、 もし僕のギターが良くなかったらクビにしてください と言う謙虚な気持ちを言ってみたら、彼はじっと黙ってしまった!
俺は変なこと言っちゃった!と焦っていると。ずいぶん時間が経ったらガハハハ!って大笑いしてしばらく止まらなかった 僕はほっとした。
年代も、日米間の距離も離れているリトル・リチャードとレコーディングができたと言うのは、当時、僕が所属していた東芝EMIの石坂敬一氏の采配でできたことで、彼と日米のスタッフにはとても感謝しています。

ミック・ジャガーやデビットボーイが他のミュージシャンを褒めちぎっているのは初めて見ました。

リトル・リチャードの素晴らしい歌唱力とパフォーマンス。
若い人たちにもぜひ見てもらいたいです。

映画『グリーンブック』何回も見ましたが、車の中で君はリトル・リチャードを知らないのか?
と言う場面を見ると嬉しくなります。(原文ママ)
DJ OSSHY
DJ OSSHY(ディスコDJ)
音楽に黒人も白人も無い。
特に、ロックンロールに対する概念、認識が、この映画によって大きく再認識させられました。
ロック、ソウル、ゴスペル、ディスコ・・・。
さまざまなジャンルが存在する現代、ジャンルを超越し、垣根を超えた、魂のこもった演奏スタイル。
ロックンロールの原点にリトル・リチャードあり、を実感出来る映画。
音楽ファンとして、とても勉強になりました。
ジョージ・カックル
ジョージ・カックル
(DJ・ラジオパーソナリティー)
この映画を見るまで、僕はリトル・リチャードを同世代のバディー・ホリーやビル・ヘイリーのようなミュージシャンと同じに器に入れていた。リトル・リチャードがこれほどまでにロックの進化に関わっているとは思わなかった。彼はビートルズやローリング・ストーンズに多大な影響を与えたこともあるが、それまであったロックンロールの伝統的なイメージに、ダンプで突っ込んでいったようなものだった。彼のステージセンスがなければ、マイケル・ジャクソンやプリンスがいることも想像できない。そこに彼のメンバーであったジミヘンも入れてみると、リトル・リチャードのストーリーがもっと深くなるだろう。
リトル・リチャードはインテリで自信家、謎めいていてエキサイティングだ。トレンド・セッターでジェンダーヴェンディング、その上、宗教的に混迷している。
ロッカーとして必要なものは全て持っているのではないだろうか。
Enjoy This movie !!!
萩原健太
萩原健太(音楽評論家)
ロックンロールとは何か?
この映画を見た今、その答えがここにある。
ロックンロールとは、そう、リトル・リチャードのことだ。
高橋芳朗
高橋芳朗(音楽ジャーナリスト)
LGBTQ+、レイシズム、セルフラブ、カルチュラルアプロプリエーション(文化の盗用)。
リトル・リチャードについて考えることは、そのまま現代社会の重要トピックと向き合うことでもある。「Tutti Frutti」のヒットから来年で70年を迎えるが、この破天荒なロックンロールレジェンドの実態に迫るには今がベストなタイミングなのかもしれない。
高橋芳朗
ピーター・バラカン
(ブロードキャスター/本作字幕監修)
この映画でリトル・リチャードは自分のことをロックンロールの設計者という風に話しています。一人だけではないにしろ、決して間違ってはいない主張です。
また保守的だった1950年代に自分がゲイであることを隠さずに活動していたことでも、当時語られなかったところでの影響力がありました。
2020年に他界したこの伝説のミュージシャンを様々な角度から描いたこのドキュメンタリーを、すべての音楽ファンにお薦めします。
ロックンロールは
リトル・リチャードが始めた
彼がすべての始まりなのさ
ミック・ジャガー
彼とのツアーでいろんなことを
学ばせてもらったよ
キース・リチャーズ
歌で叫ぶのはリチャードの影響さ
ポール・マッカートニー
初めて会ったとき、
畏敬のあまり硬直してしまった
ジョン・レノン
私にとって、
史上最高のヒーローのひとりだ
リンゴ・スター
彼は私の輝く星であり、導く光だった
ボブ・ディラン
リトル・リチャードこそ
ロックンロールの真のキングだ
エルヴィス・プレスリー
ジョージア・ピーチへ
ロックの創造を助けてくれてありがとう
デイヴィッド・ボウイ
リトル・リチャードが
声でやってることを、
俺はギターでやりたいんだ!
ジミ・ヘンドリックス
リトル・リチャードが音楽に与えた影響を
軽視することはできない
彼は扉を開けただけでなく、
壁全体を粉々に打ち砕いて、
後から来る者全員に道を譲ったんだ
彼こそがキング・オブ・ロックンロールだ
プリンス
リトル・リチャードの音楽は永遠に続く
ブライアン・ウィルソン
私が初めて自分のお金で買ったレコードは
「ヒアズ・リトル・リチャード」だった
その瞬間から、私はリトル・リチャードと
ロックンロールの虜になった
それは今でも変わらない
リチャード・ペニマンは常に最もピュアな
ロックンロールの体現者だ
ロビー・ロバートソン
ロックンロールの先駆けとなったのは、
リトル・リチャードの曲だ
ジミー・ペイジ
私が自分で歌うきっかけとなり、
多大な影響と
インスピレーションを与えてくれた
彼の歌を聞くと今でも驚かされるんだ
デイヴィッド・カヴァデール
(ホワイトスネイク)
「女はそれを我慢できない」は、
私がまだ幼かった1950年代に、
家で何百万回も流れていた
それは私にロックンロールの道を示し、
私は喜んでそれに従った
ロッド・スチュワート
リトル・リチャードは
永遠に我々の心に生き続ける
エルトン・ジョン
彼が生み出した音楽は、これからも
多くの人々に愛され続けるだろう
ビリー・ジョエル
ロックンロールの真の創始者
我々は永遠にあなたを愛するだろう
カルロス・サンタナ
私が初めてリトル・リチャード
を聴いたのは9歳のときで、
その時から私の人生は変わった
彼はエルヴィスからビートルズ、
そして音楽シーン全体に至るまで、
何世代にもわたって
多くの人々に影響を与えた
トム・ジョンストン
(ドゥービー・ブラザーズ)
ロックンロールの創始者
である彼の貢献は、
どれだけ誇張してもしすぎることはない
ジーン・シモンズ(KISS)
リトル・リチャードは
ロックンロールのまさに礎石だ
個性豊かなソングライターであり
パフォーマー、ロックのスーパースターだ
ポール・スタンレー(KISS)
リトル・リチャードは
純粋でシンプルな天才だった
彼は多くのアーティストに道を切り開いた
ベッド・ミドラー
「トゥッティ・フルッティ」を
初めて聞いたとき、私は8歳だった
そして目覚めた
ポジティブでアナーキーで
刺激的で興奮した声に
1955年、私たちは踏み鳴らしていた
バスターブラウンの靴を履いて
その猛烈なエネルギーの名前は
“リトル・リチャード”だった
パティ・スミス
私がリトル・リチャードと結婚したかった
ことをを知っていましたか?
まさにロックンロールの王者
オリジナルの伝説
すべてに感謝しているわ
シンディ・ローパー
僕は彼を愛してた! 
僕は彼に会ったんだ!
ほんとうにすばらしい人だったよ!!
ボーイ・ジョージ
後にも先にも彼のような人はいなかった
彼はロック誕生の立役者だった
映画「女はそれを我慢できない」
を見たとき、スクリーンを飛び越えて、
彼のバンドに入りたいと思ったよ
ジョン・オーツ
「グッド・ゴーリー・ミス・モーリー」は
ロックンロール史上最高の
ボーカルパフォーマンスのひとつだ
彼のように歌える人は誰もいなかった
ブライアン・アダムス
あなたが宇宙にもたらした
ロックンロールに感謝します
ニール・ショーン(ジャーニー)
リトル・リチャードは
元祖ロックンローラーの一人だった
彼は元祖グラム・ロッカーでもあり、
最初の波に乗っていたことで
多くの苦難を受けた
でも彼は、後に続く私たち全員のために
道を切り開いてくれたのよ
ジョーン・ジェット
彼がキングだ!
レニー・クラヴィッツ
グッド・ゴーリー!
ジミもビートルズもボウイもボランも、
フレディもプリンスもエルトンも、
プレストンもスライもスティービーも、
リトル・リチャードなしではありえない
ヴァーノン・リード
(リヴィング・カラー)
種を植えてくれてありがとう、リチャード
あなたの音楽のおかげで
世界はずっと幸せな場所になれたと思う
デイヴ・クロール
(フー・ファイターズ)
リトル・リチャードは非常に魅力的で
並外れたパフォーマーだったから、
ジミ・ヘンドリックスがサイドマン、
ジェームズ・ブラウンがフロントアクトを
務めたんだ
トム・モレロ
(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)
ロックンロールのキングとクイーン
彼は誰よりも激しく、法外で、
ワイルドな人生を送った
ボビー・ギレスピー
(プライマル・スクリーム)
彼は俺たちに、自分自身であること、
自分の音楽を信じること、
そして自分自身を表現することの
大切さを教えてくれた
彼は永遠の存在だ
ブルーノ・マーズ