サイズ・頁数:A4タテ・32P/
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リトル・リチャード。1950年代半ばに彗星のごとく音楽シーンに現れ、後進のロック・ミュージシャンに多大な影響を与えた伝説的黒人アーティスト。ミック・ジャガーは「ロックンロールはリトル・リチャードが始めた」と語り、エルヴィス・プレスリーは「彼こそロックンロールの真のキングだ」と称賛。ビートルズのデビュー前から親交があったジョン・レノンは「初めて会ったとき、畏敬のあまり、硬直してしまった」と言い、ポール・マッカートニーは「歌で叫ぶのはリチャードの影響さ」と語る。はたして彼はいったいどのような生い立ちを経て、その名を世界に刻んでいったのか。豊富なアーカイヴ映像、本人およびその親族や関係者、識者に加え、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ポール・マッカートニー、デイヴィッド・ボウイら著名ミュージシャンによる証言映像とともにつまびらかにする感動作。
1955年、デビュー・シングル「トゥッティ・フルッティ」の大ヒットで世に出ると、ヒット曲を連発して反権力志向の若者の心をつかみ、まさにイナズマのような活躍をみせるも突如引退を宣言。そこから5年の「教会への回帰」を経て、復帰後はイギリス・ツアーを通じて無名時代のビートルズやローリング・ストーンズに決定的な刺激と影響を与えていく。立ったままピアノを弾き、左手でブギウギを、右手では打楽器的打鍵を披露。激しいリズムを背景に、叫ぶように歌ったかと思えば、ピアノの上に立ち、衣服を脱ぎ捨ててステージを縦横無尽に駆けめぐる。今ではすっかり当たり前になっているパフォーマンスの数々が約70年前にひとりの黒人シンガー・ソングライター/ミュージシャンによって創造された事実を再認識する興奮と感動は大きく、アーカイヴ映像に残されたリチャードの演奏は今見ても全く色あせてはいない。さらに近年ではLGBTQ+(クイア)の先駆者としても再評価されている。
当時のアメリカでは南部を中心に人種差別がまだまだ激しかった。音楽活動における”認められたい“という欲求も長い間満たされずにいた。また、ゲイを公言する性的マイノリティーであった彼は、陽気な言動とは裏腹に、あまりに壊れやすい繊細な心を持った人物だった。これはドキュメンタリーの形を借りて描かれた、ひとりのミュージシャンの「魂の軌跡」。差別や偏見、時代や権力、そして信仰と音楽。様々な岐路で迷い、苦悩しながらも、最後にはあらゆる壁を壊し、自分自身を解放した初期ロックの雄のための鎮魂歌にして讃歌。すべては彼から始まった!彼がいなければ、現代に繋がる扉は開かれなかったのだ!!
1943年生まれ。1962年に結成されたローリング・ストーンズのボーカリスト。ギタリストであるキース・リチャーズと「ジャガー/リチャーズ」の名義で数々のヒット曲を生み出した。ブルースやR&Bに影響されたそのボーカルスタイル、独特なステージアクションはその後のロックに大きな影響を与えている。
1942年生まれ。ビートルズのメンバーとしてボーカル、ベースなどを担当。ジョン・レノンと共に数多くの名曲を世に送り出した。解散後はウイングスやソロでも大活躍。
「私がやっていることの多くはリトル・リチャードと彼のスタイルに負っている」と語る。
1943年生まれ。ローリング・ストーンズのギタリスト。ミック・ジャガーとともにストーンズの多くの楽曲を作曲。「史上最高のリズム・ギタリスト」とも称賛され、有名な5弦のオープンGチューニングのギターから、数多くの有名リフを生み出した。ソロ曲では渋いボーカルも聴かせる。
1947年生まれ。英国出身のミュージシャン・俳優。70年代前半に『ジギー・スターダスト』などの作品でグラム・ロックシーンをリード。その後も様々に音楽スタイルを変えつつ、ロック史に燦然と輝く名作群を残す。2016年最後のアルバム『ブラックスター(★)』を発表し2日後の1月10日死去。
1935年生まれ。リトル・リチャードやチャック・ベリーらと共にロックンロールの誕生と普及に大きく貢献した、通称「キング・オブ・ロックンロール」。とりわけ50年代にサン・レコードから発表した作品群は後続のロックミュージシャンに多大なる影響を残した。1977年8月16日死去。
1940年生まれ。ビートルズのメンバーとしてボーカル、ギターなどを担当。ポール・マッカートニーと共に数多くの名曲を世に送り出した。ビートルズ解散後は妻で芸術家のオノ・ヨーコと共に活動し、ここでも多くの名曲を生み出した。1980年12月8日ニューヨークの自宅アパート前において銃撃され死亡。
1940年生まれ。イギリス出身のポピュラー歌手。70年代にはセックスシンボル的な人気も得た。代表曲に「よくあることさ」「ラヴ・ミー・トゥナイト(恋の終わり)」「最後の恋」「恋はメキ・メキ」などがある。シャンソンやカンツォーネの英語歌詞によるカバーでも人気。
1944年生まれ。米国のヴォーカリスト、レコード・プロデューサー、ソングライター、ミュージシャン、作家。 1970年代にはパティ・ラベルらと共にラベルで活躍。「レディ・マーマレード」などのヒットを飛ばした。解散後はソロで活動、映画やTV音楽も手掛ける。
1943年ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。ダンサー、歌手、コメディアン、女優として活躍し、60年代半ばにリトル・リチャードと出会ってから長年の友人だった。トランスジェンダー権利向上の活動家の先駆者的存在としても知られている。
1969年ペンシルベニア州生まれ。16歳の時にゲイであることをカミングアウトし、1992年アメリカのタレント発掘番組「スター・サーチ」に出演し10万ドルを獲得。2013年には「キンキー・ブーツ」でトニー賞ミュージカル部門主演男優賞を受賞。ファッションや映画、音楽の分野でも活躍する多才なアーティスト。
1952年ニューヨーク州生まれ。1977年にシックを結成。また、ダイアナ・ロス、デイヴィッド・ボウイ、マイケル・ジャクソン、マドンナなど世界を代表するアーティストをプロデュース。グラミー賞生涯功績賞・特別功労賞を含む6つのグラミー賞を受賞しているアメリカを代表するプロデューサーでありギタリスト。
1946年ボルチモア生まれの映画監督。『ピンク・フラミンゴ』『ヘアスプレー』『I love ペッカー』などヒット作を手がける。幼い頃からリチャードの大ファンで、11歳の時に「ルシール」を聴いて以来「どうにかしてL・リチャードの体に入り込み、彼と入れ替わることができたらいいのにと思っていた」と語っている。
テネシー州ナッシュビル生まれ。モータウンのレコーディング アーティストとして活躍。80年代初頭には人気ファンク・グループ「オゾン」に所属。その後ビリー・プレストンの紹介でリトル・リチャードのベーシストとなる。
1915年アーカンソー州生まれ。1930~40年代にかけゴスペルをベースにジャズやブルーズの大衆音楽を取り入れた演奏で人気を博す。自らギターを弾き歌うスタイルは、リトル・リチャードやチャック・ベリー、エルヴィス・プレスリーなどにも影響を与えた。「ロックンロールの母」「ソウルシスターの元祖」と称される。
ジョージア州アトランタ生まれ。「ブルース・フォー・マイ・ベイビー」は1949年にビルボードR&Bチャート3位を獲得。当時人気のテントショーで女性のメイク・服装で歌ったりダンスを披露していた。彼は当時から同性愛者であることも公言し、ファッションやステージパフォーマンスにおいてリチャードに多大な影響を与えた。
サウスカロライナ州グリーンビル生まれ。サングラスをかけ、ポンパドールにしたヘアスタイルで演奏をするスタイルで人気を博す。ドクター・ジョンやアラン・トゥーサンなどのレコーディングにも参加。大絶賛されたL・リチャードのカムバック・アルバム『ザ・リル・シング』に「デュー・ドロップ・イン」と「フリーダム・ブルース」に共作で曲を提供した。
1982年テネシー州ジャクソン生まれ。2013年にアルバム・デビュー。フォークやカントリー、R&B、ブルースなどのトラディショナルな音楽がミックスされた独特の音楽性で話題に。今日のアメリカーナ・ムーヴメントを代表する女性シンガーのひとり。
1987生まれ。アメリカのジャズオルガン奏者、ピアニスト、ゴスペルミュージシャン、プロデューサー。スナーキー・パピーの元メンバー。革新的な音楽性、高い演奏技術により現代のジャズ、ゴスペルシーンを代表する鍵盤奏者として極めて評価が高い。
1962年生まれ。アメリカのゴスペル・シンガー、牧師。伝統的なゴスペルと現代的なゴスペルをミックスすることで知られ、「プリンス・オブ・ゴスペル・ミュージック」とも称される。迫力あるバリトンボイスが持ち味。2007年には「クリスチャン・ミュージック・ホール・オブ・フェイム」入りを果たした。
1926年生まれ。リトル・リチャードやエルヴィス・プレスリーらと共にロックンロールの祖としてあまりにも有名。特徴的なギターリフを使った音楽スタイル、物語性の高い歌詞は後のロック・ミュージシャンに多大な影響を与えた。「ジョニー・B.グッド」「ロール・オーバー・ベートーヴェン」など名曲多数。
1928年生まれ。ボー・ディドリー・ビートと称される独特なリズムの楽曲、ボディが長方形のギターがトレードマーク。チャック・ベリー、リトル・リチャードらとともにロックンロールの生みの親として知られる。ローリング・ストーンズら後続に大きな影響を与え、1987年にはロックの殿堂入りを果たす。
1928年生まれ。ニューオーリンズ出身のシンガー・ソングライター。ロックンロール・オリジネイターの一人。独自のスタイルのピアノプレイは後続に大きな影響を与えた。ジョン・レノンもカバーした「エイント・ザット・ア・シェイム」のほか「ブルーベリー・ヒル」「ブルー・マンデー」など名曲多数。
1960年12月24日コネチカット州ミルフォード出身。
映画・テレビのプロデューサー兼監督。
青春時代の多くをハーレムの路上で過ごし、イェール大学卒業後は音楽業界に進み、デフ・ジャムの創設者であるラッセル・シモンズやリック・ルービンと一緒に働いた。その後コルテスはマーキュリー・レコードのスタッフとなり、ヴァネッサ・ウィリアムズやブライアン・マックナイトらと仕事をした。 1994 年、コルテスは Loose Cannon という自身のレーベルを設立したが、2年後に閉鎖された。
音楽業界を去った後、コルテスは映画に興味を持ち、ニューヨーク映画アカデミーに入学。プロデューサーで親友のリー・ダニエルズと、『ウッズマン』(04)『シャドウボクサー』(05)『テネシー』(08)『プレシャス』(09)などの映画を共同製作した。中でも『プレシャス』はアカデミー賞6部門にノミネートされ、助演女優賞と脚色賞の2部門を受賞。全世界で80もの国際的な賞とノミネーションを獲得するなど、大きな成功と栄誉をもたらした。
2010 年に自身の会社コルテス・フィルムワークスを設立。最新作は「The Space Race」(23)。